野村監督 充実のキャンプ打ち上げ
2010年02月26日
宮崎・日南キャンプを打ち上げた広島の野村監督は「点数はシーズンが終わったときにつけたいが、カープ野球復活に向けて選手が精力的に取り組んでくれた」と充実感を口にした。
今キャンプではブラウン前監督時代には制限されていた投手陣の投げ込みを許可。キャンプ全体で約1400球を投げ込み、あす27日のソフトバンク戦(ヤフードーム)で先発する斉藤は「細かい練習が多かった。自分の好きなように投げられた」と満足そうだった。
≪天谷成長に「◎」≫広島の内田打撃統括コーチが「一番成長した」と名前を挙げたのが天谷だ。21日の西武との練習試合で3二塁打を含む5安打するなど打撃好調で「内角は前よりうまくさばけるようになった。振る量が多くなって、ボクにとってよかった」と手応え十分。今年の目標は規定打席に到達しての打率3割だが「(3割は)無理です、という言葉が出ないのが自信なんでしょうか」と不敵な笑みを浮かべた。
[スポーツニッポンニュース]より
充実したキャンプができて今シーズンは期待できますね。いよいよ3月オープン戦も始まります。キャンプの成果が発揮され、飛躍の1年となりますようにお祈りいたします。
今キャンプではブラウン前監督時代には制限されていた投手陣の投げ込みを許可。キャンプ全体で約1400球を投げ込み、あす27日のソフトバンク戦(ヤフードーム)で先発する斉藤は「細かい練習が多かった。自分の好きなように投げられた」と満足そうだった。
≪天谷成長に「◎」≫広島の内田打撃統括コーチが「一番成長した」と名前を挙げたのが天谷だ。21日の西武との練習試合で3二塁打を含む5安打するなど打撃好調で「内角は前よりうまくさばけるようになった。振る量が多くなって、ボクにとってよかった」と手応え十分。今年の目標は規定打席に到達しての打率3割だが「(3割は)無理です、という言葉が出ないのが自信なんでしょうか」と不敵な笑みを浮かべた。
[スポーツニッポンニュース]より
充実したキャンプができて今シーズンは期待できますね。いよいよ3月オープン戦も始まります。キャンプの成果が発揮され、飛躍の1年となりますようにお祈りいたします。
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08:55
「はだしのゲン」作者、原爆資料館で講演
2010年02月17日
漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さん(70)が14日、原爆資料館(中区)で講演した。「ゲン」を描くまでの経緯や、構想しながら描かれなかった幻の続編について語り、「まだまだ原爆を追及する。今度は絵画でやりたい」と意欲を見せた。
広島で被爆した中沢さんが漫画家になろうと思ったのは小学3年のころ。闇市の壁からはがしたポスターの裏を画用紙代わりに使っていた。22歳で上京。仕事が軌道に乗ったころ、被爆した母が亡くなった。火葬場で遺灰をかき回しても骨がなく、白い小さな破片が点々と見えただけだった。
「こんなバカなことがあるか。原爆ってやつは、放射能で苦しめた揚げ句、骨まで奪うのか」。中沢さんはその後1週間で、原爆への怒りを込めた作品を描き上げた。「東京では『放射能がうつる』と差別を受けたし、『原爆』の2文字に死臭が漂うあの状況を思い出してやり切れなかった。でも、もう黙っていられない」
描き続けたある日、自叙漫画を描く機会があった。それを見た編集者から「長編を描かないか」と誘われ、73年に漫画雑誌で「はだしのゲン」の連載を始めた。連載は10年以上続き、単行本は10巻で完結した。「『言いたいことを言いまくってやる』と思って描いてきた。まだ言い足りていないけど、目の病気で細かい線が描けないので、これからは絵画で原爆を追及したい」
「ゲン」には、実は続編の構想があった。上京したゲンが漫画家となり、傷ついた友を題材に戦争の悲惨さを描く。広島の仲間の死など曲折を経て、フランスに絵画修行に行く--というあらすじだった。しかし、中沢さんは「ゲンのその後は読者に想像してもらった方がいい」と考え、あえて描かなかった。
講演を聞いた市立皆実小2年の柿村誠海君(8)=南区=は「戦争はいけないと思う。たくさんの人が死ぬし、今も他の国で戦争があり、みんな怖がってる」と話した。
[毎日新聞ニュース]より
中沢さんは漫画家としては引退されると聞きました。既に漫画は描いていないのかもしれませんが、今後はこういった公演活動を行うようですね。「はだしのゲン」はつらい話ですが、現実です。戦争を知らない子供達に伝えていって欲しいですね。
広島で被爆した中沢さんが漫画家になろうと思ったのは小学3年のころ。闇市の壁からはがしたポスターの裏を画用紙代わりに使っていた。22歳で上京。仕事が軌道に乗ったころ、被爆した母が亡くなった。火葬場で遺灰をかき回しても骨がなく、白い小さな破片が点々と見えただけだった。
「こんなバカなことがあるか。原爆ってやつは、放射能で苦しめた揚げ句、骨まで奪うのか」。中沢さんはその後1週間で、原爆への怒りを込めた作品を描き上げた。「東京では『放射能がうつる』と差別を受けたし、『原爆』の2文字に死臭が漂うあの状況を思い出してやり切れなかった。でも、もう黙っていられない」
描き続けたある日、自叙漫画を描く機会があった。それを見た編集者から「長編を描かないか」と誘われ、73年に漫画雑誌で「はだしのゲン」の連載を始めた。連載は10年以上続き、単行本は10巻で完結した。「『言いたいことを言いまくってやる』と思って描いてきた。まだ言い足りていないけど、目の病気で細かい線が描けないので、これからは絵画で原爆を追及したい」
「ゲン」には、実は続編の構想があった。上京したゲンが漫画家となり、傷ついた友を題材に戦争の悲惨さを描く。広島の仲間の死など曲折を経て、フランスに絵画修行に行く--というあらすじだった。しかし、中沢さんは「ゲンのその後は読者に想像してもらった方がいい」と考え、あえて描かなかった。
講演を聞いた市立皆実小2年の柿村誠海君(8)=南区=は「戦争はいけないと思う。たくさんの人が死ぬし、今も他の国で戦争があり、みんな怖がってる」と話した。
[毎日新聞ニュース]より
中沢さんは漫画家としては引退されると聞きました。既に漫画は描いていないのかもしれませんが、今後はこういった公演活動を行うようですね。「はだしのゲン」はつらい話ですが、現実です。戦争を知らない子供達に伝えていって欲しいですね。
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08:33
オリックス・小瀬 宿舎で転落死…自殺か
2010年02月06日
沖縄の宮古島で春季キャンプ中のオリックス・小瀬浩之外野手(24)が5日午前11時45分ごろ、宮古島市にある選手宿舎のホテル(11階建て)の2階部分の屋上で死亡しているのを、駆け付けた救急隊員が見つけた。県警は飛び降り自殺したとみて、詳しい状況を調べている。小瀬外野手は、07年度大学生・社会人ドラフト3巡目でオリックスに入団。1年目から1軍で起用され、昨年は規定打席に届かなかったものの、打率・303を記録し、新任の岡田彰布監督からも大きな期待をかけられていた。球団は緊急ミーティングを開き、選手には死亡の事実のみが伝えられた。今後の練習は予定通り消化していく。
宮古島市消防本部によると、5日午前11時半ごろ、オリックスのチーム宿舎となっている同市内のホテルから「男性が血を流して倒れている」との通報があった。
6分後に救急隊員が駆けつけたところ、11階建てホテル隣接の、空調施設などが入る2階建て建物屋上スペースで、男性が靴を履かず、あおむけに倒れ死亡しているのが見つかった。「すでに死後硬直で、傷口もふさがった状態。後頭部の損傷が激しかった」(同本部)という。
連絡を受けた球団職員が病院で、小瀬であることを確認。ホテル上層階の非常階段から転落し、発見までかなりの時間が経過していたとみられるという。
その後、宮古島署が現場検証を行ったが、現場やホテル内の状況などから、同署は自殺の可能性が高いとみているもようだ。
この日のチームはキャンプ初の休日だったが、岡田監督やナインも外出先から次々に宿舎に戻った。午後3時前には、岡田監督と、小瀬と親交が深かった北川ら3選手が宮古島署に向かい、事情聴取を受けた。
午後4時からは緊急ミーティングが開かれ、チームに小瀬の転落死の事実が伝えられた。どの選手も無言で、目を赤くする選手もいた。
大阪から駆けつけ、午後8時過ぎに会見した村山球団本部長は「まだ警察で調べておられるので詳しく申し上げることはできない」とし、遺書の存在などについても回答を避けた。6日には昨年12月に挙式した夫人ら遺族が、宮古島入りし、事情聴取を受ける予定だという。
小瀬は、誰もが認める礼儀正しい好青年だった。打撃は天才肌で、プロ3年目の今年はレギュラー獲りに燃え、1月26日から宮古島に入って練習していた。
前日のキャンプ4日目も精力的に動き、米球界から復帰した田口に外野守備の教えを請う一幕も。練習終了後には、今年のチームの猛練習について「こんなに練習したことはない。田口さんが入ってとても楽しくやっている。あす(休日の5日)は昼ぐらいまで寝てると思います」と話していた。
小瀬の部屋は1人部屋で、その後、宿舎に戻った後の小瀬の行動について球団側は「把握していない」としている。
だが、午後6時ごろには、近大時代の同級生のヤクルト・山本と、2年後輩のヤクルト・荒木にそれぞれ電話していた。山本には今キャンプに入って早くも3度目の電話だったというが、会話内容自体は変わった様子はなかったという。キャンプ休日のこの日も、午後7時から夜間の休日返上練習に参加予定だった。
村山球団本部長は「明日以降、きっちり警察から説明があると思います」と話した。キャンプについては、今後も継続していく。
[デイリースポーツニュース]より
将来有望だった選手にいったい何があったのでしょうか?12月に結婚したばかりだというし、キャンプインしたばかりだし、今期に期するものがあったでしょうが、逆に本人のプレッシャーとなっていたのでしょうか?自殺のほのめかすこともあったようですが、防ぐことはできなかったのかと思うと残念でなりません。
宮古島市消防本部によると、5日午前11時半ごろ、オリックスのチーム宿舎となっている同市内のホテルから「男性が血を流して倒れている」との通報があった。
6分後に救急隊員が駆けつけたところ、11階建てホテル隣接の、空調施設などが入る2階建て建物屋上スペースで、男性が靴を履かず、あおむけに倒れ死亡しているのが見つかった。「すでに死後硬直で、傷口もふさがった状態。後頭部の損傷が激しかった」(同本部)という。
連絡を受けた球団職員が病院で、小瀬であることを確認。ホテル上層階の非常階段から転落し、発見までかなりの時間が経過していたとみられるという。
その後、宮古島署が現場検証を行ったが、現場やホテル内の状況などから、同署は自殺の可能性が高いとみているもようだ。
この日のチームはキャンプ初の休日だったが、岡田監督やナインも外出先から次々に宿舎に戻った。午後3時前には、岡田監督と、小瀬と親交が深かった北川ら3選手が宮古島署に向かい、事情聴取を受けた。
午後4時からは緊急ミーティングが開かれ、チームに小瀬の転落死の事実が伝えられた。どの選手も無言で、目を赤くする選手もいた。
大阪から駆けつけ、午後8時過ぎに会見した村山球団本部長は「まだ警察で調べておられるので詳しく申し上げることはできない」とし、遺書の存在などについても回答を避けた。6日には昨年12月に挙式した夫人ら遺族が、宮古島入りし、事情聴取を受ける予定だという。
小瀬は、誰もが認める礼儀正しい好青年だった。打撃は天才肌で、プロ3年目の今年はレギュラー獲りに燃え、1月26日から宮古島に入って練習していた。
前日のキャンプ4日目も精力的に動き、米球界から復帰した田口に外野守備の教えを請う一幕も。練習終了後には、今年のチームの猛練習について「こんなに練習したことはない。田口さんが入ってとても楽しくやっている。あす(休日の5日)は昼ぐらいまで寝てると思います」と話していた。
小瀬の部屋は1人部屋で、その後、宿舎に戻った後の小瀬の行動について球団側は「把握していない」としている。
だが、午後6時ごろには、近大時代の同級生のヤクルト・山本と、2年後輩のヤクルト・荒木にそれぞれ電話していた。山本には今キャンプに入って早くも3度目の電話だったというが、会話内容自体は変わった様子はなかったという。キャンプ休日のこの日も、午後7時から夜間の休日返上練習に参加予定だった。
村山球団本部長は「明日以降、きっちり警察から説明があると思います」と話した。キャンプについては、今後も継続していく。
[デイリースポーツニュース]より
将来有望だった選手にいったい何があったのでしょうか?12月に結婚したばかりだというし、キャンプインしたばかりだし、今期に期するものがあったでしょうが、逆に本人のプレッシャーとなっていたのでしょうか?自殺のほのめかすこともあったようですが、防ぐことはできなかったのかと思うと残念でなりません。
Posted by koss at
10:21


